「薔薇の木に薔薇の花咲く 何事の不思議なけれど」は、
北原白秋の言葉です。
わたしは、いま いえそれは不思議なことに 想えてます。たとえば、
Paul Celanパウル・ツェランの薔薇は、何事なのだろうか。という想いから
このブログを書いています。


無謀かもしれません。まず、わたしの目に映る薔薇があるなら
ほかの人の見ていた薔薇のことを 想うべきじゃないかなと 想い
散歩をしてみました。

すると、どうでしょう。すこし歩くだけで 薔薇は薔薇らしく
わたしの目の届く場所にあるものです。

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小雨をうけて さえざえと薔薇が咲いていました。
つかれた
頃、ちいさな喫茶店があったので中に入ってみると
なんと そのお店の中は、薔薇の装飾がほどこしてあるものが
随所にありました。イヌも歩けば薔薇にあたる、です。^^

お店の方にうかがってみると、薔薇が好きなので
薔薇をモチーフにして 陶器も焼いたのだそうです。
テーブルにも 硝子板の下にも 薔薇色のフリースを切っただけだという
布が敷いてありました。


薔薇とは、このように 高揚感のあるものだと 思いました。
パウル・ツェランの薔薇も 高揚感であると わたしは 思います。
わたしのような薄い知識のものが
この詩の 冒頭の一連目は、宗教観が影響しているに違いないと 
読むのが普通だと私には、想えます。まず ドイツという国のなりたちなどもっと 踏まえるべきだろうと 思います。

その上でそこに咲く 薔薇に 想いをよせるべきでしよう。

しかし、わたし自身の感じる薔薇は、やはり幸福と呼べる高揚感を
わたしに もたらしてくれました。
 
ときより この薔薇色の高揚感のことも、 おもいだしながら 読み深めてゆこうと想います。
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