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0 木質化する薔薇の記憶と題して、ツェランの詩をきっかけに様々なことを書いてきたが、
今回は、02氷結する薔薇の昇華 としてみた。
きっかけは、森田拓也さんの詩を読んだとき、
わたしは、ツェランのことを おもわずにはいられなかった。
 

 どれほど歩いたのだろうか?

 消えゆく十字架のごときものを背負わされて
 ぼくは・・・


                   森田拓也 消えゆく亡霊のごときもののように より

キリスト教に対して、苦手意識の私にも キリスト教的なモチーフを用いた詩がせまってきた。
わたしは、もっとわたし自身の肉体をとおして、死や生が 古今東西の人々が
どのように向き合ってきたかということを、感じたい。

そのために、ツェランの詩とともに、森田さんのこの詩も 大切に身近に置きながら、この私が感じる
薔薇という魅力的な花に対する さまざまな思いや、
キリスト教に対する 私の曖昧な知識をもうすこし 掘り下げたりする作業をいたいと 思う。 

まずは、旧約聖書をざっくりと まとめてみよう。多くの人々の信仰しておられるのだから
わたしのようなものが 偉そうに解説することは、自信がないので NHKの百分で名著という番組で
放映していたことを、まずは 書き起こしていこうと 思っている。