るるりらの流支(るーしー)

わたしは、詩を趣味としている 主婦で、詩板では るるりらと なのっております。 このブログは まずわたしが よき詩の読者であるための場所がほしいとおもい たちあげました。 よろしく お願いします。   

2013年10月

これらは、よくない林檎を食べた人間の出来事ですか?4

これらヨーロッパの歴史のすべては、林檎を食べた人間の出来事ですか?
読者のつっこみが聞こえるようです。
「まず、林檎ではありません。聖書のどこにも林檎という記述は
ありません」ですね。
 わたしたち人間を培ってくれたものは、太陽と水と大地であり、
ヨーロッパの近代史の忌まわしい戦争の歴史の すべても
宗教が理由と簡単には、言えない。
しかしユダヤ人とユダヤ教は結び付けて迫害の口実にされた悲しい歴史はある。
どうして、ユダヤ人迫害がおきたのか 簡単にまとめてみた。

まず、ユダヤ人迫害は
ナチス「が」ユダヤ人を迫害したのではなく
ナチス「も」ユダヤ人を迫害した。
ユダヤ人に対する迫害は、
千年以上昔から ヨーロッパで行なわれてきたことだ。


ヨーロッパで、ユダヤ教が嫌われてきたことのひとつは 宗教にある。
ユダヤ教から派生した宗教であったが、ユダヤ教から派生した
キリスト教は ユダヤ教を嫌う。
なぜならば、キリストを処刑したのはユダヤ人とされているから。


ユダヤ教から派生した ユダヤ・キリスト・イスラームは、3つ併せて「アブラハムの宗教」と呼称されてる。
お互いがお互いに密接に関係しているので、共通点もたくさんある。共通点があるだけに、お互いの違いが許せず、二千年も 争ってきた。

1・「聖典」の共通

○ユダヤ教は『旧約聖書』、ユダヤ教徒自信は単に「聖典」と呼び唯一の聖典としています。
●キリスト教は『旧約聖書』にイエスやその弟子の言葉や手紙を収めた
『新約聖書』が加わります。
●イスラム教は『旧約聖書』と「『新約聖書』の中の4福音書」に加え、ムハンマドの言葉をそのまんま記した『コーラン』が加わります。

2・共通の預言者

預言者とは、「神の言葉を預かり伝える人」という意味で 予言ではない。 3宗教とも、この預言者の存在を重視している。そして、預言者は一人ではなくて何人もいます。 当然、共通の預言者もいれば、一方は認めるけど一方は否定される預言者も います。 共通のモノとしては、

○アブラハム・ノア・モーセ。
●で、そこにイエスが加わるとキリスト教。
●さらに、ムハンマドが加わるとイスラム教です。イスラム教では
イエスは、天使ミカエルとして書かれている。


ユダヤ教は、イエスもムハンマドも認めません。キリスト教はムハンマドを認めません。
イスラム教はすべて認めますが、最大にして最後の預言者がムハンマドであると主張します。

3・聖地イェルサレム

共通の聖地もいくつかありますが、最大の整地がイェルサレム。
まぁ、ユダヤ教の聖地であり、そこから分派・影響を受けて成立したのが
キリスト・イスラムの両宗教なので、聖地が同じ。


しかし、ナチスがユダヤ人を迫害した理由は、むしろ経済的理由といえる。
ドイツが第一次大戦に負けたとき、当時のヨーロッパは、とても景気が悪く、ヨーロッパ経済は破綻していた。資本家の地位が極端に上がり、労働者層を奴隷のような条件で働かせるなど社会問題が多発する中で、当時多くの資本家はユダヤ人出身だったため、古くからの反ユダヤの思想と結びついてヨーロッパ各国で 反ユダヤ政策が行われていた。当時のヨーロッパの風潮は、ユダヤ人はその組織を通じてスパイ活動を行っている。と、人々はユダヤ人を 嫌っていたのだ。ドイツでもユダヤ人に対して、迫害はあったが、当時は他の国より程度が軽かったので、ドイツに ユダヤ人が増えていた。


第一次大戦で敗戦したドイツは 戦勝国から科せられた賠償などのおかげで経済はがたがたになり超インフレで紙幣が紙切れ同然になる中、民衆から起こった反ユダヤ思想をナチス党が政権運営に利用した。

「ユダヤ人なんか のさばらせておくからこんなことになったんだ」という声が 大きくなったのだ。
米国をはじめとした反ナチス勢力に資金提供をしているのはユダヤ資本だ。と、人々は言うようにもなった。
「ユダヤ人のいないドイツにする」という主張をヒットラーがした。そして当選した ヒトラーは選挙公約を実行したのだ。それが、ドイツナチスによるユダヤを迫害。


当初共産主義者を取り締まっていたゲシュタポ(秘密警察)や 親衛隊の情報機関もユダヤ人を管轄するようになり当初は不当逮捕程度だった が、ものが戦争激化でエスカレートして行った。


ナチスのユダヤ人迫害を生じたさせたと考えられる それまでの国策や事件などの時代的背景

1870年オーストリア・ハンガリー王国のフランツ・ヨーゼフ1世によるユダヤ人容認政策の導入。

当時オーストリア・ハンガリー王国はプロセイン(ドイツ)と対立し、また戦争に敗れていたために、ユダヤ資本とユダヤ移民を必要としたことからとった政策。これで、ユダヤ人は ドイツで増える。これにより、当時の欧州の政治事情は親ユダヤか否かの対立が生じて来る。

その後、ドイツで起こった運動の中に、ゲルマン主義にそって、 反ユダヤ主義に基づく民族主義。というものが、
この演説が若きヒトラーを感銘させてしまった。

1902年「プロトコル事件」。
これは反ユダヤ主義者や反ロシア主義者たちの捏造とされていますが、ユダヤ人がロシアで暴動を起こして、その後世界征服をもくろんで いる。というものが伝わります。その後起きたロシア革命によってロシア王朝は崩壊し社会主義国家が誕生。この際も裏でユダヤ資本が資金提供してロシア王朝を倒した。と解する者が
増えて行きます。 (ユダヤ資本が日露戦争やロシア革命で、ユダヤ弾圧の王朝打倒のために多額
の 資金提供をしたのは歴史的事実)


 

「薔薇の木に薔薇の花咲く 何事の不思議なけれど」は、
北原白秋の言葉です。
わたしは、いま いえそれは不思議なことに 想えてます。たとえば、
Paul Celanパウル・ツェランの薔薇は、何事なのだろうか。という想いから
このブログを書いています。


無謀かもしれません。まず、わたしの目に映る薔薇があるなら
ほかの人の見ていた薔薇のことを 想うべきじゃないかなと 想い
散歩をしてみました。

すると、どうでしょう。すこし歩くだけで 薔薇は薔薇らしく
わたしの目の届く場所にあるものです。

5

小雨をうけて さえざえと薔薇が咲いていました。
つかれた
頃、ちいさな喫茶店があったので中に入ってみると
なんと そのお店の中は、薔薇の装飾がほどこしてあるものが
随所にありました。イヌも歩けば薔薇にあたる、です。^^

お店の方にうかがってみると、薔薇が好きなので
薔薇をモチーフにして 陶器も焼いたのだそうです。
テーブルにも 硝子板の下にも 薔薇色のフリースを切っただけだという
布が敷いてありました。


薔薇とは、このように 高揚感のあるものだと 思いました。
パウル・ツェランの薔薇も 高揚感であると わたしは 思います。
わたしのような薄い知識のものが
この詩の 冒頭の一連目は、宗教観が影響しているに違いないと 
読むのが普通だと私には、想えます。まず ドイツという国のなりたちなどもっと 踏まえるべきだろうと 思います。

その上でそこに咲く 薔薇に 想いをよせるべきでしよう。

しかし、わたし自身の感じる薔薇は、やはり幸福と呼べる高揚感を
わたしに もたらしてくれました。
 
ときより この薔薇色の高揚感のことも、 おもいだしながら 読み深めてゆこうと想います。
4

DSC_0180 (1)
Paul Celan  "PSALM" 


↑ここを クリックすると 課題としているこの詩が表示されます。

※1【psalm】

psalm 発音記号/sάːm, sάːlmsάːm/

1 賛美歌聖歌.
【語源】
ギリシャ語ハープをかきらしてわれた」の
七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。

※1【Niemand】



たとえば、
 Niemand raucht bei uns zu Hause.(家では誰もタバコを吸いません。)
というように、誰も○○しない。というような構文に使われる。

 突然だが、日本語のパッパラパーの語源は、ドイツ語だという説があるらしい。発音



日本では、自分の愚かさを 自傷ぎみにいうときにパッパラパーと言うことがある。この日本語は、
そんなに昔から使われていた言葉ではなくて、1980年代ごろから使われているようだ。そういえば、祖父母は このような言葉を使わなかった。
 ドイツのpapperlapappの場合は、十八世紀もまえから たわいのない話をよく喋る人々のことを揶揄して、papperlapappと言ってきたようだ。 

もし、わたしが この【psalm】 という詩の中で、連呼している【Niemand】という語のことを、日本のアニメ主題歌むのようだと云えば、ドイツの方々は わたしのことを おそらく「papperlapapp」とおっしゃるに 違いない。
しかし、 この詩のniemandの繰り返しが、 私には、昭和の名作アニメの主題歌「やつらのバラード」に 思えた。

なんにもない なんにもないまったく なんにもない 生まれた 生まれた 何が生まれた 星がひとつ 暗い宇宙に生まれた 星には夜があり そして朝が訪れた なんにもない大地にただ風が吹いてた ♪
ギャートルズというアニメの主題歌です。(「やつらの足音のバラード」
園山俊二作詞・かまやつひろし作曲 唄 かまやつひろし 曲名をクリックすると動画 有り)



彼は1970年パリで死去。セーヌ川で遺体が発見されており、自殺と考えられている。
このアニメは1974年から 日本で放送されている。80年代になると
日本人は、自分の愚かさにであったとき パッパラパーと自傷した。
わたしは 彼の死の頃、
「なんにもないなんにもない まったくなんにもない」というアニメ主題歌に心を奪われていた。
あのころ、私が知らなかった 事は、なんだったのだろうか、
あの時代を牽引していた 戦争を知る人々の顔を意味していたものは、どのようなことだったのだろうか。
わたしを育ててくれた方々のことを 思い浮かべながら 私は この【psalm】を
読み深めたいと 思う。

DSC_0180 (1)




メビウスリングというサイトの詩の読書会をきっかけに、Paul Celanパウル・ツェランの詩について 私自身の認識を もうすこし深く掘り下げてみようと おもったのが、このブログをたちあげた きっかけです。




Paul Celan
 "PSALM" 

Niemand knetet uns wieder aus Erde und Lehm,
niemand bespricht unsern Staub.
Niemand.

   誰でもないものがぼくらをふたたび土と粘土からこねあげる、
   誰でもないものがぼくらの塵に呪文を唱える。
   誰でもないものが。

Gelobt seist du, Niemand.
Dir zulieb wollen
wir blühn.
Dir
entgegen.

   たたえられてあれ、誰でもないものよ。
   あなたのために
   ぼくらは花咲くことをねがう。
   あなたに
   むけて。

Ein Nichts
waren wir, sind wir, werden
wir bleiben, blühend:
die Nichts-, die
Niemandsrose.

   ひとつの無で
   ぼくらはあった、ぼくらはある、ぼくらは
   ありつづけるだろう、花咲きながら——
   無の、誰でもないものの
   薔薇。

Mit
dem Griffel seelenhell,
dem Staubfaden himmelswüst,
der Krone rot
vom Purpurwort, das wir sangen
über, o über
dem Dorn.

   魂の透明さを帯びた
   花柱、
   天の荒漠さを帯びた花粉、
   茨の棘の上高く、
   おおその上高くぼくらが歌った真紅のことばのために赤い
   花冠。

────────
「頌歌(PSALM)」は普通では神へのほめ歌であるが、ここではそれを「誰でもないもの」(Niemand)への頌歌とした。これは、リルケの「薔薇よ、おお純粋な矛盾/こんなに多くの瞼の下で、誰の眠りでもない(Niemandes Schlaf)という/喜び」という詩句を踏まえているが、ツェランの方が神への恨み(危急の際、救援に駆けつけなかったことへの)がこもっている。
(飯吉光夫編訳『パウル・ツェラン詩文集』白水社 解説より)


 ★わたしはドイツ語に不案内ながら、単語をひとつひとつかいつまんで
   読み解いて行こうと思います。
     
 

***

ナチスの強制収容所で両親を亡くした悲しみの体験を原点に、言葉を紡ぎつづけ、狂気の果てにセーヌ川に身を投じた詩人、パウル・ツェラン。

 

1920年、両親ともユダヤ教徒の家庭に生まれた。

1941年、ナチス・ドイツの侵攻により両親とともにゲットーへ移住させられる。

1942年 ツェランの両親がトランスニストリアの強制収容所へ移送され、
      ツェラン自身も強制労働に狩り出された。

同年秋、両親ともに収容所内で死去。父親は移送中にチフスに感染したためで、母親は射殺だった。

 

1942年から1944年まで、ツェランは各地の労働収容所に送られ、

1944年、解放されると、ツェランは精神的に憔悴しながらも 学業を再開。

1945年、親戚とともにブカレストに移住、翻訳する仕事に就く。自作詩の発表もはじめていたが、共産主義独裁の空気を嫌い、

1948年パリに亡命、 

『骨壷からの砂 (Der Sand aus den Urnen )』, を上梓。


1951年、女性版画家のジゼル・ド・レストランジュと知り合い、翌年に結婚。

1952年 結婚

『罌粟と記憶 (Mohn und Gedächtnis )』, 1952
この詩集にはナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにした代表作『死のフーガ』が収められている。

1955年フランスの市民権獲得。

同年第二子エリック誕生(第一子は生後まもなく死亡)。


『閾から閾へ (Von Schwelle zu Schwelle )』, 1955
『言葉の格子 (Sprachgitter )』, 1959

1960年、ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞。その記念講演『子午線』は彼の重要な詩論である。

              
『誰でもない者の薔薇 (Die Niemandsrose )』, 1963
1967年ジゼルと離婚。
『息の転換 (Atemwende )』, 1967
『光の強迫 (Lichtzwang )』, 1970

『雪のパート (Schneepart )』 (遺稿), 1971

 『時の屋敷 (Zeitgehöft )』 (遺稿), 1976


1970年パリで死去。セーヌ川で遺体が発見されており、自殺と考えられている。

 
 次回は、題名と、 Niemandについてです。  


         

DSC_0180 (1)


メビウスリングというサイトの詩の読書会で、 Paul Celanパウル・ツェランの詩 
Paul Celan "PSALM"『頌歌』を 学び、わたしは この詩に出てくる薔薇がどのような薔薇で
あったであろうかということについて、もうすこし わたしなりの思惟を重ねてみようと 想ったのが
このブログをたちあげた きっかけです。


パウル・ツェランの生涯
まず ツェランの生涯の概要から 触れてみます。

***

ナチスの強制収容所で両親を亡くした悲しみの体験を原点に、言葉を紡ぎつづけ、狂気の果てにセーヌ川に身を投じた詩人、パウル・ツェラン。

 

1920年、両親ともユダヤ教徒の家庭に生まれた。

1941年、ナチス・ドイツの侵攻により両親とともにゲットーへ移住させられる。

翌年、ツェランの両親がトランスニストリアの強制収容所へ移送され、ツェラン自身も強制労働に狩り出された。

同年秋、両親ともに収容所内で死去。父親は移送中にチフスに感染したためで、母親は射殺だった。

 

1942年から1944年まで、ツェランは各地の労働収容所に送られ、

1944年、解放されると、ツェランは精神的に憔悴しながらも 学業を再開。

1945年、親戚とともにブカレストに移住、翻訳する仕事に就く。自作詩の発表もはじめていたが、共産主義独裁の空気を嫌い、

1948年パリに亡命、同年に第一詩集『骨壷の中の砂』を上梓した。

1951年、女性版画家のジゼル・ド・レストランジュと知り合い、翌年に結婚。

1952年のこの年には 詩集『罌粟と記憶』を出版。

この詩集にはナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにした代表作『死のフーガ』が収められている。

1955年フランスの市民権獲得。

同年第二子エリック誕生(第一子は生後まもなく死亡)。

1960年、ゲオルク・ビューヒナー賞を受賞。その記念講演『子午線』は彼の重要な詩論である。

1967年ジゼルと離婚。1970年パリで死去。セーヌ川で遺体が発見されており、自殺と考えられている。




*********************************************************
Paul Celan "PSALM"
   飯吉光夫訳『頌歌』



Niemand knetet uns wieder aus Erde und Lehm,
niemand bespricht unsern Staub.
Niemand.

   誰でもないものがぼくらをふたたび土と粘土からこねあげる、
   誰でもないものがぼくらの塵に呪文を唱える。
   誰でもないものが。

Gelobt seist du, Niemand.
Dir zulieb wollen
wir blühn.
Dir
entgegen.

   たたえられてあれ、誰でもないものよ。
   あなたのために
   ぼくらは花咲くことをねがう。
   あなたに
   むけて。

Ein Nichts
waren wir, sind wir, werden
wir bleiben, blühend:
die Nichts-, die
Niemandsrose.

   ひとつの無で
   ぼくらはあった、ぼくらはある、ぼくらは
   ありつづけるだろう、花咲きながら——
   無の、誰でもないものの
   薔薇。

Mit
dem Griffel seelenhell,
dem Staubfaden himmelswüst,
der Krone rot
vom Purpurwort, das wir sangen
über, o über
dem Dorn.

   魂の透明さを帯びた
   花柱、
   天の荒漠さを帯びた花粉、
   茨の棘の上高く、
   おおその上高くぼくらが歌った真紅のことばのために赤い
   花冠。

────────
「頌歌(PSALM)」は普通では神へのほめ歌であるが、ここではそれを「誰でもないもの」(Niemand)への頌歌とした。これは、リルケの「薔薇よ、おお純粋な矛盾/こんなに多くの瞼の下で、誰の眠りでもない(Niemandes Schlaf)という/喜び」という詩句を踏まえているが、ツェランの方が神への恨み(危急の際、救援に駆けつけなかったことへの)がこもっている。
(飯吉光夫編訳『パウル・ツェラン詩文集』白水社 解説より)

このページのトップヘ