るるりらの流支(るーしー)

わたしは、詩を趣味としている 主婦で、詩板では るるりらと なのっております。 このブログは まずわたしが よき詩の読者であるための場所がほしいとおもい たちあげました。 よろしく お願いします。   

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画像をクリックすると、Paul Celan  "PSALM" 




人は どうやって存在するようになったか。
聖書では、神が人に似せてつくられたことになっている。
アダムのあばら骨から イブができて、人間は 子孫を残すことができるようになった。わたしは クリスチャンの文化の中で育っていないので「へ?意味不明なんですけど?」と、私なんかは 思うことしかできない。

ただ、常識的に考えて、欧米文化と密接な関係をもちながら「へ?」ではなく 考えてみる。

そうね。DNAという科学的概念でいうと、人類は もしかしたら
ほんとうに たったひとりの人から派生したかもしれない。そういう説が現在では有力だし。
聖書も、あらゆる人種は もともとはひとつであったというくだりなどの話は、 もうすこし真剣に話をきいてみる価値がありそう。

この詩も聖書を鵜呑みになんてできないという意味で 書かれてはいると思う。けれど、
土から捏ね上げた。という点については、この詩は聖書に賛成している。人を、人から捏ね上げる。それは、
どういう感覚なんですか?と わたしは躓いた。

わたしの無い知恵で、人間は土から出来たということをまず、肯定してみよう。 

そういえば、宇宙にある 多くの天体の中で、大地と海がある地球という天体にしか
粘土(有機物を含んだ土)なんてない。だから、大地と海ができたことで、ゆくゆくは人間も 存在するようになったという観方をしてみる。すると、だいぶ 生物の歴史の話を はしおったことにはなるけれど、わたしたちは 土と粘土から出てきた。と、いうことで 私は自身は異論は無くなった。それで、良いこととしよう。


旧約聖書では 人が人となる以前の状態のことを【ゴーレム(胎児)】と、言うらしい。詩の御勉強会で 金河南さんがQ、簡潔にまとめて紹介してくださっていた。


【ゴーレムの造り方】
ラビ(律法学者)が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、
土をこねて人形を作る。呪文を唱え、「אמת」(emeth、真理)という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成。
【ゴーレムの壊し方】
ゴーレムを壊す時には、「אמת」(emeth)の「א」( e )の一文字を消し、「מת」(meth、死んだ)にすれば良いとされる。

たった一字をけすだけで 死という語になる。この語彙としての 激しく早い死へのアプローチの語感が また すごいなと 想う。

つまり、。生命起動スイッチのon offは、言葉と いっているようなものじゃあないのか?


切なくてやりきれないので、次回は 平凡な日本の現代人である私が 考えている胎児とはなにか みたいなこと。人間とは なにだろう。異論をまとめてたい。わたしの思う 胎児とはなにかという話も 次回は まとめてようと思う。

言葉は スイッチ

これらは、よくない林檎を食べた人間の出来事ですか?4

これらヨーロッパの歴史のすべては、林檎を食べた人間の出来事ですか?
読者のつっこみが聞こえるようです。
「まず、林檎ではありません。聖書のどこにも林檎という記述は
ありません」ですね。
 わたしたち人間を培ってくれたものは、太陽と水と大地であり、
ヨーロッパの近代史の忌まわしい戦争の歴史の すべても
宗教が理由と簡単には、言えない。
しかしユダヤ人とユダヤ教は結び付けて迫害の口実にされた悲しい歴史はある。
どうして、ユダヤ人迫害がおきたのか 簡単にまとめてみた。

まず、ユダヤ人迫害は
ナチス「が」ユダヤ人を迫害したのではなく
ナチス「も」ユダヤ人を迫害した。
ユダヤ人に対する迫害は、
千年以上昔から ヨーロッパで行なわれてきたことだ。


ヨーロッパで、ユダヤ教が嫌われてきたことのひとつは 宗教にある。
ユダヤ教から派生した宗教であったが、ユダヤ教から派生した
キリスト教は ユダヤ教を嫌う。
なぜならば、キリストを処刑したのはユダヤ人とされているから。


ユダヤ教から派生した ユダヤ・キリスト・イスラームは、3つ併せて「アブラハムの宗教」と呼称されてる。
お互いがお互いに密接に関係しているので、共通点もたくさんある。共通点があるだけに、お互いの違いが許せず、二千年も 争ってきた。

1・「聖典」の共通

○ユダヤ教は『旧約聖書』、ユダヤ教徒自信は単に「聖典」と呼び唯一の聖典としています。
●キリスト教は『旧約聖書』にイエスやその弟子の言葉や手紙を収めた
『新約聖書』が加わります。
●イスラム教は『旧約聖書』と「『新約聖書』の中の4福音書」に加え、ムハンマドの言葉をそのまんま記した『コーラン』が加わります。

2・共通の預言者

預言者とは、「神の言葉を預かり伝える人」という意味で 予言ではない。 3宗教とも、この預言者の存在を重視している。そして、預言者は一人ではなくて何人もいます。 当然、共通の預言者もいれば、一方は認めるけど一方は否定される預言者も います。 共通のモノとしては、

○アブラハム・ノア・モーセ。
●で、そこにイエスが加わるとキリスト教。
●さらに、ムハンマドが加わるとイスラム教です。イスラム教では
イエスは、天使ミカエルとして書かれている。


ユダヤ教は、イエスもムハンマドも認めません。キリスト教はムハンマドを認めません。
イスラム教はすべて認めますが、最大にして最後の預言者がムハンマドであると主張します。

3・聖地イェルサレム

共通の聖地もいくつかありますが、最大の整地がイェルサレム。
まぁ、ユダヤ教の聖地であり、そこから分派・影響を受けて成立したのが
キリスト・イスラムの両宗教なので、聖地が同じ。


しかし、ナチスがユダヤ人を迫害した理由は、むしろ経済的理由といえる。
ドイツが第一次大戦に負けたとき、当時のヨーロッパは、とても景気が悪く、ヨーロッパ経済は破綻していた。資本家の地位が極端に上がり、労働者層を奴隷のような条件で働かせるなど社会問題が多発する中で、当時多くの資本家はユダヤ人出身だったため、古くからの反ユダヤの思想と結びついてヨーロッパ各国で 反ユダヤ政策が行われていた。当時のヨーロッパの風潮は、ユダヤ人はその組織を通じてスパイ活動を行っている。と、人々はユダヤ人を 嫌っていたのだ。ドイツでもユダヤ人に対して、迫害はあったが、当時は他の国より程度が軽かったので、ドイツに ユダヤ人が増えていた。


第一次大戦で敗戦したドイツは 戦勝国から科せられた賠償などのおかげで経済はがたがたになり超インフレで紙幣が紙切れ同然になる中、民衆から起こった反ユダヤ思想をナチス党が政権運営に利用した。

「ユダヤ人なんか のさばらせておくからこんなことになったんだ」という声が 大きくなったのだ。
米国をはじめとした反ナチス勢力に資金提供をしているのはユダヤ資本だ。と、人々は言うようにもなった。
「ユダヤ人のいないドイツにする」という主張をヒットラーがした。そして当選した ヒトラーは選挙公約を実行したのだ。それが、ドイツナチスによるユダヤを迫害。


当初共産主義者を取り締まっていたゲシュタポ(秘密警察)や 親衛隊の情報機関もユダヤ人を管轄するようになり当初は不当逮捕程度だった が、ものが戦争激化でエスカレートして行った。


ナチスのユダヤ人迫害を生じたさせたと考えられる それまでの国策や事件などの時代的背景

1870年オーストリア・ハンガリー王国のフランツ・ヨーゼフ1世によるユダヤ人容認政策の導入。

当時オーストリア・ハンガリー王国はプロセイン(ドイツ)と対立し、また戦争に敗れていたために、ユダヤ資本とユダヤ移民を必要としたことからとった政策。これで、ユダヤ人は ドイツで増える。これにより、当時の欧州の政治事情は親ユダヤか否かの対立が生じて来る。

その後、ドイツで起こった運動の中に、ゲルマン主義にそって、 反ユダヤ主義に基づく民族主義。というものが、
この演説が若きヒトラーを感銘させてしまった。

1902年「プロトコル事件」。
これは反ユダヤ主義者や反ロシア主義者たちの捏造とされていますが、ユダヤ人がロシアで暴動を起こして、その後世界征服をもくろんで いる。というものが伝わります。その後起きたロシア革命によってロシア王朝は崩壊し社会主義国家が誕生。この際も裏でユダヤ資本が資金提供してロシア王朝を倒した。と解する者が
増えて行きます。 (ユダヤ資本が日露戦争やロシア革命で、ユダヤ弾圧の王朝打倒のために多額
の 資金提供をしたのは歴史的事実)


 

「薔薇の木に薔薇の花咲く 何事の不思議なけれど」は、
北原白秋の言葉です。
わたしは、いま いえそれは不思議なことに 想えてます。たとえば、
Paul Celanパウル・ツェランの薔薇は、何事なのだろうか。という想いから
このブログを書いています。


無謀かもしれません。まず、わたしの目に映る薔薇があるなら
ほかの人の見ていた薔薇のことを 想うべきじゃないかなと 想い
散歩をしてみました。

すると、どうでしょう。すこし歩くだけで 薔薇は薔薇らしく
わたしの目の届く場所にあるものです。

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小雨をうけて さえざえと薔薇が咲いていました。
つかれた
頃、ちいさな喫茶店があったので中に入ってみると
なんと そのお店の中は、薔薇の装飾がほどこしてあるものが
随所にありました。イヌも歩けば薔薇にあたる、です。^^

お店の方にうかがってみると、薔薇が好きなので
薔薇をモチーフにして 陶器も焼いたのだそうです。
テーブルにも 硝子板の下にも 薔薇色のフリースを切っただけだという
布が敷いてありました。


薔薇とは、このように 高揚感のあるものだと 思いました。
パウル・ツェランの薔薇も 高揚感であると わたしは 思います。
わたしのような薄い知識のものが
この詩の 冒頭の一連目は、宗教観が影響しているに違いないと 
読むのが普通だと私には、想えます。まず ドイツという国のなりたちなどもっと 踏まえるべきだろうと 思います。

その上でそこに咲く 薔薇に 想いをよせるべきでしよう。

しかし、わたし自身の感じる薔薇は、やはり幸福と呼べる高揚感を
わたしに もたらしてくれました。
 
ときより この薔薇色の高揚感のことも、 おもいだしながら 読み深めてゆこうと想います。
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