るるりらの流支(るーしー)

わたしは、詩を趣味としている 主婦で、詩板では るるりらと なのっております。 このブログは まずわたしが よき詩の読者であるための場所がほしいとおもい たちあげました。 よろしく お願いします。   

つい 私自身が お茶目が顔をだして、第九の替え歌などを 紹介してしまった。
二連目で 私が感じ取ったもが 讃歌だったからだ。しかし、この詩が 単純な讃歌などというものであるはずがない。第九などかたらず、仇を思っても 自然なことと想える背後が あのユダヤ人迫害の歴史だ。

その前に、日本人である私が思う ドイツと、実際のドイツがドイツ人を 思う自己理解とは、どの程度のひらきがあるのだろう。ドイツの人々は 人生をどのように 人を育み、喜び、苦悩してきたのだろう。そして、どうような死生観を もっておられるのだろう。
ざっくりと、ドイツ人といえば何を 連想するかというと
【森が好き・ビールとソーセージ】だと思う。森が好きというイメージより 日本人の潜在意識にあるドイツは やはり童話だと思う。

②日本人がよく知る(わたしでも名前くらいは聞いたことのある)ドイツの人物

思想家 
マルティン・ルターイマヌエル・カント
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
カール・マルクス


音楽家
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトヨハン・ゼバスティアン・バッハリヒャルト・ワーグナー

文芸
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
グリム兄弟
ミヒャエル・エンデ - 児童文学作家

科学者
アルベルト・アインシュタインヨハネス・ケプラー
ヨハネス・グーテンベルク

画家
ミヒャエル・ゾーヴァ

1


フィンセント・ファン・ゴッホ




Paul Celan  "PSALM" 

この詩は、二連目から 劇的に明るい表現になっている。

Gelobt seist du, Niemand.
Dir zulieb wollen
wir blühn.
Dir
entgegen.

   たたえられてあれ、誰でもないものよ。
   あなたのために
   ぼくらは花咲くことをねがう。
   あなたに
   むけて。





わたしは この箇所を初めて読んだとき、日本の年末に さまざまな場所で なぜかドイツ語で謳われる ベートーベンの作曲した第九を 思いだした。
第九は、日本の中にも ドイツが息づいている証拠のひとつかもしれない。

そして 私は、第九をもじって ドイツという国を踏まえて替え歌のようなものを書いてみた。


お勉強会はここをクリック


「歓喜に寄せて」

晴れたる青空 なんといい気分だ 
おお友よ、おとなしくしている場合ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか


歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女に
火のように酔いしれて
我らは 崇高な歓喜、恍惚の赤い薔薇


一体だれが 我々をつくりなおすというのか
陶器にすべく 土から こねあげるように
ロクロを まわしてごらんよ
指先にあふれる なめらかな土の感触
だれが こんなふうに われわれを作り直すというのでしょう

貧しき者は幸いなり
われらには 豊かさを象徴するものなど ありはしない
れれらが こねあげられた人形を窯にいれ 火をいれる
白磁り人形のクチビルには かならず赤い彩色をほどこそう
遠く伊万里の友よ



遠い異国の友よ われらの言葉を汲み取ろうとしてくれるなせ
これこそ真の成功
心優しき妻を得たも同然だ
我らの歓声に声を合わせよ


だれに言われるでもなく 
心を分かち合う魂があると言える歓呼
してそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去ってゆく

わたしもあなたも そして すべての生き物は
だれでもない人の乳房から 歓喜を飲み、
それぞれの心の深きところより 花のつぼみを宿すことができる
花は 薔薇のように しだいに咲き誇る
さあ 熱き歓喜に 口づけを


だれでもない人が 我々に与えたのは
葡萄酒のパープルと 苦悩のピープル
けれど 快楽は虫けらのように扱われた弱い人間にも 与えられ
われらは 今 歌うことができる

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!

 
ドイツのマイセンの陶磁器は 日本の陶磁器の影響があるらしい。
日本の中にあるドイツを確認したいという衝動から いたって能天気な詩を書いてみた。

お勉強会<ここをクリック>


迫害のことを踏まえて語らないわけにはいかないのだが、
しかし、日本人の中にあるドイツを 思うとき 尊敬のような 気持ちもいまでも 含まれていることも忘れたくない。
迫害のことも、すこしづつまとめて行こうと思うが、その前に
わたしが知っているドイツの輪郭をまとめてみないことには
日本の中にドイツは見つかるはずもないので ドイツとは 何なのかから まとめてみることにする

【ドイツという言葉の意味】
ドイツという単語の語源は、神聖ローマ帝国と関係がある。
ドイツと云う言葉は、もともと ラテン語を話していた人々からみて、民衆の言葉と言う意味が
ドイツと云う言葉とのことだ。

ドイツ語圏の人々というと 現在だと ドイツとオーストリアとスイス。
神聖ローマ帝国は それらを含む集合体だった。
18世紀からだと、 三百ともいわれる封建国家がひしめきあっていた。
ナポレオンの時代の前には 40くらいの数の国家が存在していた。

元々は民衆の言葉という意味だった【ドイツ】という言葉の人々が 偏ったプライドをもちあのような残虐な
歴史に至ったのか。皮肉な話だと思う。


【ローマ帝国】

  ローマといえば、【ローマの休日】の監督もユダヤ人だとのこと。マッカーサーが失脚する前年に公開された映画だ。 当時のアメリカでは 赤狩りがおこなられていた。この監督も辛酸をなめたという。
そして、【ローマの休日】の原題は「Roman Holiday(ローマ人の休日)」であって「Holiday in Rome(ローマでの休日)」ではない。また、Romanという語の前に THEもない。THEがない場合は 現在のローマと言う意味てはなく、神聖ローマを想起する人か多いと聞いたことがある。(なにかの映画の評で読んだ)


つまり、「Roman Holiday」という言葉には、「他人の犠牲によって楽しみを得る娯楽」という意味があるようだ。、ローマのコロセアムで行われていた剣闘士たちの戦いをローマ市民が娯楽として楽しんでいたことを、有名な詩人のバイロンが自分の詩の中で「Roman Holiday」と書いたところから 慣用的に虐げられた奴隷の人々のことを想起せるようなニュアンスが この原題には含まれていると聞いたことがある。
抑圧の歴史を 窺いしるような 話だ。

このページのトップヘ